ドライブルートのなかから、歩いて学べるエリアをクローズアップしてご紹介するコーナーです。今回の散策コースのテーマは、「遣唐使の旅立ちの地をめぐる」です。
五島を経由した遣唐使のなかで、最も有名なのが804(延暦23)の船団。4隻の船が筑紫博多の津を出帆し、唐をめざしました。第1船には、大使・藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)、空海(くうかい)、橘逸勢(たちばなはやなり=空海・嵯峨天皇と並んで三筆のひとりと称される書道の名人)が、第2船には最澄(さいちょう)が乗船していました。後世日本を代表する名僧が渡唐したことでも特筆すべき船団といえます。
今回は、東シナ海から吹く潮風を感じながら、遣唐使ゆかりの地を辿ってみましょう!
*「高崎鼻公園」から「道の駅 遣唐使ふるさと館」へは車で移動しました。


柏崎公園(かしわざきこうえん)・空海記念碑「辞本涯(じほんがい)」

五島市三井楽(みいらく)は、「肥前国風土記」に『美弥良久(みみらく みねらく)の崎』として登場する、遣唐使船最後の寄港地であるといわれています。遣唐使たちはこの柏崎を日本の見納めとし、決死の覚悟で東シナ海へと漕ぎ出していきました。その心境を記した空海の名文“日本最果ての地を去る”という意味の「辞本涯」の碑や、遣唐使として旅立つ我が子の無事を祈る母の歌を刻んだ碑が建立されています。この地に立って、大海原を眺めながら詠んでみると、とても感慨深いものがあります。
江戸時代に入ると、五島は捕鯨で栄えますが、この柏地区にも捕鯨の一団が移住してきて、冬場だけを猟期として活躍したそうです。当時は、「鯨一頭捕れれば七浦潤う」といわれ、五島藩財政にとっても重要な資源でした。しかし、鯨の減少により幕末にはほとんどの鯨組が解散しました。

ふぜん河・岩獄神社(いわたけじんじゃ)
【ふぜん河】
「肥前国風土記」の中に、「遣唐の使は、この停から出発して、美弥良久の崎に至り、ここから発船して西を指して渡る」と記されています。
この美弥良久の崎が現在の柏であり、遣唐使が廃止された後も、中国へ渡航する船の日本最後の寄港地として重要な役割を果たしました。この川の水は、それらの船の乗組員たちの飲料水として利用されたといわれ、岩盤から湧き出る水は渇水期でも尽きることがありません。
【岩獄神社】
遣唐使船が柏に寄港した832年(天長9)頃、遣唐使の守護の任にあった鎖鎌(武器)の名人が、順風を待って滞在しているあいだに病死してしまったため、碑石を建ててその霊を祀ったといわれています。老松が生い茂り石垣は波に洗われていたところを、村人たちが話し合ってこの神社を建てたそうです。

高崎鼻公園(たかさきばなこうえん)
高崎草原の遥か彼方には、東シナ海を経て中国大陸が続いています。草原に落ちる夕陽や、冬の激しい白波は一見の価値があります。
この公園の広場には、「蜻蛉日記(かげろうにっき)」の作者・藤原道綱(ふじわらのみちつな)の母の歌碑が建立されています。
「蜻蛉日記」には、「いづことか音にのみ聞くみみらくの 島がくれにし人をたづねむ」と詠まれ、“三井楽というところに行けば、死んだ人に会える”という噂が京の都でなされていたことが書き残されています。都人にとって、五島はこの世の果てとも感じられるほど遠い存在だったのでしょう。
公園内には「万葉荒雄の路」と名付けらた散策路も設置されており、遣唐使の日本最後の地までの800mを、万葉の浪漫に浸りながら歩くことができます。

道の駅 遣唐使ふるさと館
島にある“道の駅”で、遣唐使の歴史を知ることができるスポットです。お土産や食事をめあてに立ち寄るのももちろんいいですが、遣唐使をテーマとした歴史に関する資料の展示や映像があるのでお見逃しなく!
展示コーナーでは、万葉集に掲載されている三井楽を読んだ歌などをピックアップして紹介しています。「万葉シアター」(有料)では、万葉集の「筑前国志賀(ちくぜんのくにしか)の白水郎(あま)の歌十首」で山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだという歌をテーマにした『行きし荒雄ら』と、三井楽で別れを惜しみつつ旅立つという歴史をもとにした感動のオリジナル物語『遣唐使ものがたり』の2本が鑑賞できます。
【万葉シアターについて】
| ■上映時間 |
約28分 |
| ■料金 |
一般:大人300円 小人200円/団体:大人250円 小人150円
(団体は15名様以上) |
地域向けの企画展示スペースや休憩所もあり、五島列島の海の幸・山の幸をはじめ、椿油やご当地グッズなど人気商品がズラリと並ぶ販売所は充実の品揃えです。
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| 展示コーナー | 万葉シアター入口(左端)
右は展示コーナー |
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| 特産品販売 |
また、収容人数70名のレストラン、研修室、五島牛焼肉コーナーもあります。
三井楽町の婦人会の方々との共同による、地元の食材・調理法にこだわった郷土料理のバイキングが定期的にレストランでおこなわれています。特産である五島うどん、つわやタラの芽の天ぷらなど季節の郷土料理も人気があります。

白良ヶ浜万葉公園(しららがはままんようこうえん)

遣唐使船の日本最後の寄港地として知られる三井楽。その当時の哀歓は、「万葉集」や「蜻蛉日記」に切々と綴られています。その歴史の面影を今に伝えようと整備されたのが、この白良ヶ浜万葉公園です。
園内には、万葉集や蜻蛉日記にゆかりの歌碑や草花があり、海を眺めながら歴史や歌を楽しむ散策ができます。また遣唐使船を模したつくりの展望台からは、白良ヶ浜を一望することができます。また、大人も子どもも楽しめるアスレチック施設や自然環境が整い、憩いの場ともなっています。
■ 五島から旅立った遣唐使のその後・・・
揃って五島を出帆した4船でしたが、2日後には第3船と第4船は連絡がとれなくなってしまいました。最澄が乗った第2船は無事に唐へと渡ることができましたが、空海が乗っていた第1船は暴雨に遭い、34日の航海でようやく福建省の福州に着岸できました。しかし、福州の役人からあまりにも厳しい取り調べを受けます。そこで空海は、「我々は日本の国から来た国使である。にもかかわらずこのような厳しい仕打ちにあうのは心外である。よろしく温情を」と、大使・藤原葛野麻呂の名で書簡を書き提出しました。
この書簡を読んだ役人は、あまりの名文に驚き、「日本は東夷(とうい)の野蛮国とばかり思っていたが、こんな文章を書ける人がいたのか」とそれまでの態度を一変し、大使たち一行は正式な使者としての待遇を受けることができたそうです。
この書簡の中には、五島を旅立った後の遭難の様子が以下のように書かれていたといいます。
決死の覚悟で海に乗り出す。日本の涯(はて)の五島列島に別れを告げて中途に及ぶころ、暴雨に逢い帆には穴があき、柁は折れてしまった。天にとどかんとばかりの高い波、舟は飛び上がり流れる。波にのって船は上がったり下ったり、風にまかせて南に流されたかと思うと今度は北に流される。目に入るものは碧い空と海だけ。難波の津を出帆して二ヶ月余り、水は尽き、人は疲れ切り、海路は長く、陸地はまだ遠い。
飛鳥・奈良・平安時代に渡って派遣された遣唐使が持ち帰った知識や文物は、日本の政治や文化に大きな影響をもたらしました。自らの命もかえりみず、唐へと渡った使者たち・・・。旅立つ人、送り出す人のいろいろな想いを考えながら、遣唐使旅立ちの地をめぐる小旅行はいかがですか?