
掛木古墳(かけぎこふん)

「壱岐風土記の丘」の駐車場奥にあります。掛木古墳は、6世紀後半に造られた円墳で、墳丘の直径は約30m。県内で唯一の「くり抜き式家形石棺」を持つ古墳として有名で、大きな石をくり抜いて造ってあります。屋根の形をした蓋も特徴としてあげられます。

百合畑古墳園(ゆりはたこふんえん)

23基の古墳が集中しています。ここでは、6基の古墳を見ることができます。5〜6世紀にかけて築造され、このあたりにおける初期の古墳群として貴重です。横穴式石室が特徴。

生池(なまいけ)

以前ここには約30平方メートルほどの広さの池があったといわれ
ています。昔は川河童(かわがっぱ)がここで人を生け捕りにしていたので、生池と呼ばれるようになったという言い伝えがあります。大きな松があり、水神様の祭り場になっています。生池城の用水の汲み場であったとも考えられています。
ここからは、次第に車の音が遠くなります。鳥のさえずりや虫の鳴き声、風にそよぐ木々の葉の音が心地よく聞こえてきます。道端にひっそりと咲く季節の花々や自然の香りに癒されながら、のんびり歩く・・・。ふと立ち止まって上を見上げると、木漏れ日がまぶしく空から射し込んでいました。聞こえてくる音、見えるもの、漂う香り・・・。静けさのなかにあるすべてのものに神聖さを感じます。
こんな空間にひたっていると、壱岐が“神々の島”とよばれるのも確かにうなずけます。特別なエリアに入り込んだようなひとときです。


生池城跡

古墳時代ではありませんが、16世紀中頃に松浦党の源壱(みなもとのいち)が生池城(別名:牛ケ城 うしがじょう)に移城しました。二重の空堀(からほり)がとりまき、築城当時の厳重な城がまえをうかがわせます。この城は戦闘施設として造られたため、城主や家族たちは、ふつうは別の屋敷に住んでいたといわれています。

源壱は、朝鮮や中国沿岸で私貿易をおこなった倭寇(わこう)のひとり。のちに朝鮮から貿易許可書である図書(ずしょ)を受け、正式に貿易をおこないました。

笹塚古墳(ささづかこふん)

6世紀末頃から7世紀初め頃に造られた古墳で、特別な地位にあった人の墓と考えられています。直径66m、高さ約13mは県内最大級の大きさです。ヒノキ林に覆われているので、全体を見ることはできません。
奥の玄室にある巨大な石を利用した組合式石棺からは、世界でも珍しい亀の形をした飾り金具や金銅製の馬具一式、太刀、ガラス玉など、考古学上非常に貴重な資料が出土しました。古墳の大きさからだけでなく副葬品からも、被葬者の権力の強大さがみてとれます。


双六古墳(そうろくこふん)

6世紀中頃に造られた前方後円墳で、これが長崎県内で最も大きな古墳です。全長は91m、高さは前方部が5mで後円部が10.6mあります。雑木は切り払われ、全体を見渡すことができます。前室右側壁には船の線刻画があります。また、副葬品として出土したものは、鳳凰をかたどった金銅製の太刀柄頭や透かしのある鉄刀の鍔(つば)、トンボ玉や琥珀玉といった装飾品などなど、バラエティに富む高価そうなものばかり。この古墳もやはり相当な有力者のものだと想像できます。

鬼の窟(いわや)古墳
横穴式石室を持つ古墳のことを、壱岐では“鬼の窟”とよんでいます。鬼でもなければこんな大きく重たい石は運べないだろうということでしょう。石室は壱岐最大(全国で12位)だそうで、全長16.5m、最大の天井石は4mもあります。当時の壱岐の豪族・壱岐直(あたい)の墳墓ではないかといわれています。
江戸時代の『壱岐名勝図誌』に「島外からの見物客が多い」という記録が残っており、昔から有名な古墳だったことがわかります。
