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■ 韓国外交に奮闘した島(2010.5.6.更新)
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誠信之交隣とは


 1689年(元禄2)、対馬藩は藩財政の生命線である朝鮮外交の体制を維持する目的で、関係の記録文書整理や保管をおこなう「朝鮮方」を設置し、制度の見直しや理論化をおこなうために、藩外から雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)を採用しました。芳洲は対馬藩の外交方針として「誠信之交隣」を提唱する『交隣提醒(こうりんていせい)』をまとめ、朝鮮通詞の養成にも力を入れました。

 “交隣”とは、隣国と対等に交わることです。この“交隣”という言葉は本来朝鮮で使われた外交用語です。芳洲は「互いに欺かず、争わず、真実を以て交わる」と方針を説き、朝鮮外交と友好親善に努めました。

 1980年(昭和55)、対馬の有志らによって雨森芳洲没後225年祭が行われ、全国の雨森一族の縁者などが招かれました。1990年(平成2)に対馬で開催された「朝鮮通信使」を主題としたシンポジウムの際、数名のパネラーが雨森芳洲の功績を顕彰したそうです。このシンポジウムの数日前に、来日中の当時の韓国大統領・盧泰愚(のてう)氏が国会における講演で、雨森芳洲と玄徳潤(ひょんどぎゅん)の相互尊重の外交姿勢を讃えたこともあり、この盛り上がりをきっかけに「芳洲会」が設立されたそうです。

若田石硯


若田石硯 
 対馬産の硯は、平安時代には貴族たちに使用されたといわれるほどの歴史があり、なんとあの紫式部も愛用していたという話まであります。
 厳原町佐須川上流の川沿いに、固く緻密な頁岩(けつがん)が岩床をなしています。それが硯の原石で、青みがかった漆黒で表面に美しい斑紋や条線があり、粘土が幾層も固まっているのが特徴です。この石でつくられた硯は、墨をするときの滑らかさと程良い固さのバランスが保たれ、発墨に優れています。儒学者・林羅山(はやしらざん)は、『霊寿硯記』で対馬の硯のことを「中国の端渓(たんけい)にも匹敵する」と評価しています。
 現在でも書道家をはじめ、全国に多くの若田石硯の愛用者がいます。ほとんどが手づくりで、1991年(平成3)には長崎県の伝統工芸品に指定されました。
 “体験であい塾「匠」”では、若田石硯の製作実演のほか、オリジナルの硯づくりに挑戦できる体験コーナーも設備され、伝統工芸の真髄にふれることができます。

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