
■ 自然と歴史が織りなす“祈りと癒しの島・上五島”(2009.10.07.更新)
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このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。
今月の注目エリアは『上五島』。旅の必携アイテムは『旅する長崎学4』と『旅する長崎学5』です。
まずは、新上五島町がどこにあるのかチェックしておこう。 |
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今回、タビーナと一緒に上五島を旅してくれるのは、
「ナッシーくん」と「トッピーくん」!
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ずいぶん前から活躍している、トビウオをモデルとしたキャラクターです。
上五島産のトビウオはコクのある上品な味わいを出してくれるので、
“あごだし”で食べる「五島手延うどん」は絶品です。
長崎県内ではトビウオのことを『アゴ』と呼びます。 |
スポットの紹介
1日目  有川港(ありかわこう)・鯨賓館(げいひんかん)ミュージアム
五島列島中通島(なかどおりじま)の海の玄関口として、上五島地域と佐世保地域とを結ぶ海上交通の要衝となっています。
この湾には昔から鯨が多く回遊していたといわれており、1598年(慶長3)に銛(もり)突きによる“有川捕鯨(ありかわほげい)”が始まった地です。
 船を降りてすぐの有川港多目的ターミナル内には、鯨賓館(げいひんかん)ミュージアムがあり、捕鯨や教会群など上五島の歴史や、郷土が生んだ英雄などを紹介しています。
鯨賓館ミュージアムは、第2週の「テーマで歩く歴史散策」で詳しく紹介します。
 頭ヶ島天主堂(かしらがしまてんしゅどう)
上五島出身で、多くの教会建築を手がけた鉄川与助(てつかわよすけ)の傑作といわれ、全国的にも珍しい石造りの教会です。信徒たちが島で切り出した石を丹念に積み上げて造られました。この地区の信徒の数はとても少なくなりましたが、当時の原型が大切に保存され、現在も教会堂として利用されています。2001年(平成13)11月に国の重要文化財に指定されました。
天井は二重の持送りハンマー・ビーム架構で折り上げられ、船底のようになっているのが特徴です。この珍しい様式の天井は、鉄川与助の一連の作品において、意匠的にかなり違うので、新しい空間創造の記念碑的建築ではないかともいわれています。

また海辺には、十字架をかたどったキリシタンの墓標が並び、この土地の歴史を訪れる人々に物語ります。
 坂本龍馬ゆかりの広場
1866年(慶応2)5月2日未明、江ノ浜潮合崎(しおやざき)でワイルウェフ号が遭難し、船将である高泉十兵衛ら12人が溺死しました。
1865年(慶応元)、坂本龍馬は、薩摩藩や長崎商人の援助を受け、神戸海軍操練所の塾生たちとともに、日本初の商社を長崎・亀山の地に設立。亀山社中は、海運業に必要な船を薩摩の援助によって手に入れます。2本マストの様式帆船ワイルウェフ号は、命名式と洋上訓練を兼ね、1866年(慶応2)4月28日、長崎を出港しましたが、途中大暴風雨に遭って漂流し、5月2日暁、潮合崎で暗礁に乗り上げ転覆しました。乗組員4人を除いて他は死亡しました。この事故はただちに福江藩庁、薩摩長崎屋敷に報告されました。
両藩の役人は現地入りして遺体の収容などにあたり、有川専念寺住職によって埋葬されたそうです。龍馬は、同志の霊を弔うため、資金を添えて建碑を依頼したといいます。墓碑は、この広場から歩いて5、6分の江ノ浜集落の中にあります。
ワイルウェフ号が遭難した潮合崎を望むこの広場は公園になっており、「龍馬ゆかりの地」と記された石碑とともに、同型帆船の写真やかじとり棒と推定される原寸大の模型が設置されています。
 五島うどんの里
上五島の特産品のひとつとして名高い「五島手延うどん」。そのルーツはかなり古くまで遡り中国大陸から伝わったといわれますが、はっきりしたことはわかりません。遣唐使船によって伝えられたとか、8世紀頃に中国から入ってきた舶来品がはじまりではないかとか、いろいろな説があります。このほかにも、元寇の際に捕虜となって五島に住みついた中国人が教えたという説や、五島を根拠地のひとつとしていた中国の貿易商人・王直(おうちょく)が伝えたのではないかともいわれています。
ここ「五島うどんの里」では、五島手延うどんを味わえるお店やお土産コーナーがあります。“五島手延うどんができるまで”を詳しく紹介する資料も展示されていますので、その美味しさのヒミツがわかりますよ。五島うどんの魅力を十分に満喫することができます。
毎年開催される「五島うどんフェスタ」は、多くの人出で賑わいます。
■営業時間:8:30〜17:00(年末年始は休み)お食事処は、11:00〜14:00
■問合せ先:0959-42-2655(有川港から徒歩1分です。)
 蛤浜海水浴場(はまぐりはまかいすいよくじょう)

どこまでも遠浅の白い砂浜と透き通った青い海のコントラストが映える海水浴場です。シャワーなど設備も充実し、隣にはキャンプ場やスポーツ施設もあります。
毎年、海開きの日には「蛤浜で遊ぼDAY」のイベントが開催されます。「遊ぼDAY」とは、「遊ぶ日」と「遊ぼうよ」を重ねたネーミングです。
バナナボート、サイコロゲーム、地引網体験、スイカ割り、宝さがしなどが行われます。また2007年(平成19)からはサンドクラフトの祭典「白砂の芸術祭」も同時に開催され、砂のアートを堪能することができます。この日は町内外から多くの人が集まり、大いに賑わいます。
 浜串教会(はまくしきょうかい)・希望の聖母像(きぼうのせいぼぞう)
昔から漁業が盛んな地区で、1896年(明治29)に建てられた初代の浜串教会は、捕鯨の利益で建てられたと伝えられています。1967年(昭和42)に新聖堂が建立されました。
この港口には、「希望の聖母像」が漁船の出入りを見守っているかのように立っています。
この浜串地区住民のほとんどが漁で生計をたてていることから、浜串教会が航海の安全と大漁を願って、1954年(昭和29)に建立し、1996年(平成8)に建て替えました。
浜串教会から奥の港口まで直進していくと、希望の聖母像へたどり着きます。車で約1分です。

 高井旅海水浴場(たかいたびかいすいよくじょう)
ログハウス、コテージなど充実した施設が揃い、さまざまなマリンスポーツも楽しめます。

 あこうの樹
あこうの樹は、全国に240本ほどあるといわれますが、長崎県内にはその3分の1に当たる80本が自生しているといいます。
ここ奈良尾のあこうの樹は、樹齢650年を越え、幹回りが約12メートル、高さは約25メートルあって、日本一の大きさを誇るといわれています。
神社の参道にそびえ、地上7メートルのところから支柱根(しちゅうこん)が2股に分かれているので、その姿はまるで自然の鳥居のよう・・・、訪れる参拝者たちを迎えてくれます。
1961年(昭和36)には国の天然記念物に指定され、1990年(平成2)には新・日本名木百選の木にも選ばれました。
 若松大橋(わかまつおおはし)
全長552メートルのトラス橋で、1991年(平成3)に開通し、若松島と中通島が陸続きになりました。白い若松大橋が青い海と山々の緑の中に溶け込んで見せる美しいコントラストは、複雑なリアス式海岸の景観に違和感なくマッチして、とても癒されます。

 日島の石塔群(ひのしまのせきとうぐん)
曲(まがり)地区の海に向かって延びるこの地には、中世(鎌倉〜南北朝〜室町)時代の石塔類が林立しています。長く過酷な歴史の流れをくぐり抜けてきた石塔群は、見る人を圧倒するほどの迫力をもっています。


 弘法井戸(こうぼういど)
遣唐使は、はじめ大宰府から壱岐、対馬を経由していく「北路」ルートで中国をめざしていました。しかし、新羅(しらぎ)の朝鮮統一により、702年(大宝2)以降は薩南諸島、沖縄列島ルートで東シナ海を横断する「南島路」を進みました。しかし、航海日数が長いうえに東シナ海を横断する危険度も高かったことから、ルートが見直されました。そこで、どうせ東シナ海を渡る危険を冒すのなら、五島列島の西端から一挙に東シナ海を横断して航海日数を少なくする「南路」ルートがとられました。五島列島を寄港地とした遣唐使船で渡った人々の中には、空海(くうかい)や最澄(さいちょう)などがいました。
日本最後の地となるこの五島列島には、弘法大師・空海ゆかりといわれるものが多く残っています。この「弘法井戸」もそのひとつで、古くから語り継がれてきた話があります。


 カピィ・プラザ
青方港(あおかたこう)の沖合いに、上五島国家石油備蓄基地があります。世界初の洋上備蓄方式で、日本の造船工学、土木工学の粋を結集して造られた鋼鉄製貯蔵船です。
この国家石油備蓄基地のしくみやエネルギーについて、子どもたちにもわかりやすく伝えようと、新上五島町にある石油備蓄記念会館の1階に「カピィ・プラザ」がつくられました。
この施設は、日本を支える上五島の国家石油備蓄基地を紹介する“石油と備蓄基地ゾーン”と上五島の素晴らしい自然・歴史・文化を紹介する“上五島と自分発見ゾーン”に分かれています。石油備蓄のしくみがわかる展示パネルや、クイズに答えながらエネルギーのことを理解できるコーナーなど、誰でも楽しく学べるように工夫されています。


2日目  冷水教会(ひやみずきょうかい)

1907年(明治40)5月に献堂式が行われました。この教会の設計施工も鉄川与助によるものです。この冷水教会は、鉄川与助が当時27歳で独立し、初めて手がけた教会として知られています。
内部は3廊式(さんろうしき)で主廊部(しゅろうぶ)、側廊部(そくろうぶ)ともに漆喰仕上げ(しっくいしあげ)、4分割リブ・ヴォールト(こうもり)天井を取り入れており、当時としては極めて斬新な建築といわれました。
 矢堅目(やがため)公園
この地は古くから奈摩(なま)湾に侵入する外敵の見張りのために、矢(守備兵)で堅(砦)めたということで、「矢堅目」の地名が残されました。
中世末期の勘合貿易(かんごうぼうえき・室町時代における日本と明の公式貿易)の停泊(避難)港としても知られ、松浦党の一員である青方・奈摩両氏には、海賊からの警備の任務が課せられていました。
この公園から見る夕景は大変美しく、長崎県自然環境保全地域にも指定されています。
 青砂ヶ浦天主堂(あおさがうらてんしゅどう)

奈摩湾を見下ろす小高い丘の上に建つ優美な煉瓦造りの教会です。長い迫害の時代が終わった後、宣教師たちは青砂ケ浦を上五島における宣教活動の拠点としました。最初の教会は山手にありましたが、1889年(明治22)に違う場所に建てかえられ、1910年(明治43)、鉄川与助の設計で現在の場所に建てられました。50戸あまりの信者たちが建設費を拠出し、さらにその労働奉仕によって建てられました。当時は海辺から建設現場までの道路もなく、女性や子どもも手伝って、石や煉瓦などの資材を人力で運んだそうです。
外観・内観ともに均整のとれた構造となっており、細部の意匠も優れています。日本人設計者の手で建設された煉瓦造り教会堂の初期のもので、この後に建築された煉瓦造り教会堂の構造や意匠の見本ともなりました。
2001年(平成13)11月に国の重要文化財に指定されました。

 しんうおのめふれ愛らんど
「しんうおのめふれ愛らんど」は五島列島の北部に位置し、西海国立公園内にあります。レジャー施設として整備されており、溶岩海岸での磯遊びやパットゴルフ、テニス、おもしろ自転車などがあって、大人から子どもまで一日たっぷりと楽しく遊べます。東シナ海に沈む夕日は見逃せません。
上五島の物産
上五島の特産といえば、なんといっても『五島手延うどん』。有川港から徒歩1分のところにある「五島うどんの里」内には、観光物産センターがあり、五島手延うどんをはじめ、椿油製品やアクセサリー、そしてミネラル豊富な塩、海産物などが所狭しと並んでいます。どれもお土産にはもってこいで、迷ってしまいます。
また、アイスクリームのショーケースをのぞくと、そこには昭和を感じさせる懐かしいアイスクリームが並んでいました。上五島で生産されているものばかりなんです。


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